講師紹介

ヨガチャリャヨシコ(山坂良子)
1974年生まれ
マウントヒル ヨガ スタジオ 代表
インド政府MHRD公認「ナショナル インスティテュート オブ オープンスクーリング講座」修了
2005年、冷え、生理痛、肩こり、頭痛にパニック障害も抱えていたとき、友人に誘われたのがヨガを始めるきっかけ。
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ヨガクラスを普通に受けるより安くたくさん受講できるインストラクターコースに参加。その後、体調、精神も徐々に改善していき、インストラクターの仕事を始めなければならなくなる。しかし何を教えていいのか分からず、そもそもヨガをわかっていない!ことに気がつく。数年後インド人の先生に出会い、稲妻が走る。インドのヨガ、ヤマニヤマ(生活でのこと)、ヨガクリヤ(鼻うがいなどのデトックス)、アーサナ、ナディショダンプラナヤマを習い始める。2年後、先生がインドへ帰ってしまい、仕方なくインドへ会いに行くことになったのが2012年の初インド。ガンジス川で剃髪し弟子入りしたが諸事情あり、2013年の2度目のインド、クンブメーラーの会場で辞めると告白。そして同年夏3回目のインドで、先生の2番目の師匠、インド人聖者スワミ バレンドゥ ギリ師に習うことになる。以降、渡印20数回。グルジとの時間は宝物。ヨガクリヤの実践、指導は日本一と思う。スートラネティの制作、ジャンネティ(鼻うがい)ポット制作、販売もする。ベジタリアンはコロナ禍を機に12年で終了。2024年 30年暮らした福岡市から大分県豊後高田市に移住。猫と犬を野に放ち、畑と田んぼと海と山と温泉で自分も放たれつつ。
「解放」について考える。
身体を使うヨガによる身体の「解放」は、身体の不調や痛みからの「解放」だけでなく緊張からの「解放」
過去のトラウマや未来の期待や不安からの「解放」でもあってその「解放」は無意識のまま行われたりする。ほとんどの人が意識に上がってこない。
なので、ヨガは、いろいろ考えずに、ただ行うこと。そして、感じること。これにつきます。身体が気持ちいいね、と。「解放」は頭でやれないから、ヨガをやる。
こころの奥底から湧いてくる思いを大切に。これはインドに通って学んだことです。なくてはならないインドとヨガ、日本のみんなが自分を大切に、気持ちよく笑顔で周りも大切にしていけるように。インドヨガが広がりますように。

梅村美里
20代でギックリ腰、痛みと不安を抱え生活していた頃、ヨガは腰痛に良いと聞き、近所のヨガスタジオへ通い始める。そして、指導者になる。
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それからも痛みと不安は消えずにいた時、マウントヒルのヨガと出会う。数回受講しただけで腰痛が消え、その衝撃と喜びからマウントヒルでヨガを学び直す。
自らの身体の変化(身長が伸びた!笑)と共に、物事を深く考えるようになった。すると、自分を縛っているのは、自分自身で、実は単純で純粋で自由な存在なのだと気付いた。
そして「年齢を重ねた今の自分が快適で過ごしやすい!」と感じている。さらに、これからの変化も楽しみに思える!
自分が実践・体得してきた、マウントヒルのヨガの素晴らしさをひとりでも多くの人へ伝えていきたい。

松尾友香
お腹の不調やストレスで悩んでいた高校生の頃に雑誌のダイエット特集でヨガを知り、たまに自分で1つ2つアーサナをしていました。大学でヒンディー語学科に入学し、ヨガサークルに誘われてからヨガを定期的にはじめました。
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ヨガや食事の実験で、少しづつ改善したものの、まだお腹の調子に左右される日々に悩んでいました。
マウントヒルのヨガクラスを受けた時に、あまりにもやっていたことが違うのと、毎回筋肉痛になる程体が伸びるのがおもしろく、このヨガをやってみようと思いました。
SBGインドヨガを続け、ガスを作らない食事について学び、お腹の悩みとイライラが激減しました。「今、意外と幸せかもしれない」と思えることが増えてきました。 ゆっくりと呼吸をして身体を動かし、心が落ち着くにつれて、わかることがまだまだあるのだと思います。 そしてすぐにはわからないところもまた面白い。 今できることを大切に、みなさんとヨガを探求していけたらいいなと思っています。
グルジについて

スワミ バレンドゥ ギリ師
インド政府人材育成機関MHRD所属
ヨグパラシクシャン&アヌサダン サンサタン ラジャスタン ジャイプル 創始者
スワミ バレンドゥ ギリ師(以下スワミジ)は、かつてリシケシのムニーキレティ地区にあるラマシュラム図書館で、アートマン(真我)と経典の研究に従事していました。
以前は、時折インド各地へ放浪の旅に出るほかは、シュリー コテーシバマハデヴ寺で、極めて質素な生活を送っていました。またコテーシバ周辺で行われていた、近隣の住民から死者が出ると何頭かの牛を森に放つという生贄の儀式の廃止にも尽力しました。この習慣化された生贄の儀式には魂を放つという意味もありましたが、牛たちはコテーシバの深い森の中で道に迷い、虎の餌食となるのが常でした。当時は一般的な儀式で、民衆はもちろん寺の高僧でさえも、この儀式の惨たらしさを理解していませんでした。スワミジはこの生贄の儀式の廃止を唱え、牛を放った飼い主のもとへ、その牛を連れ戻したこともありました。そのためスワミジは酷い扱いを受けることもありましたが、地域と彼の努力が徐々に実り、この伝統は撤廃されました。コテーシバはガンジス河にぐるりと囲まれた地域で以前は釣りも盛んでしたが、スワミジの働きかけにより、この釣りの習慣も廃止されました。
1990
スワミジはシヴァ神とチャンドラバダニ神から、「子どもたちにヨガを教えなさい」というお告げを授かりました。何があっても後ろを振り返るなと 命じられた通り、ヨガ教育に邁進しました。
1993/2
インド観光局などが主催するインターナショナルヨガウィークにおいて、スワミジの最初の生徒で当時8歳だったヴィディアタ ラナ コティは 大変名誉ある賞を受けました。
1994
同じく生徒のカンチャラカインチュラも多くの大会で受賞。翌年スワミジは、彼女たちと同様に優秀な生徒を50人ほど育成しました。 ところが主催者側の理不尽な理由で、彼らが競技会に参加できない事が多々ありました。観光局担当者の熱心な働きかけも効果はなく、スワミジは この状況に絶望しジャイプ-ルへと旅立ちました。
2003
スワミジは既に様々なアサナ(ヨガのポーズ)に熟練した少年少女に対し 、ナディショダン(血管の洗浄方法)の指導を開始しました。またナディショダンプラナヤマの研究につとめました。その研究グループの責任者には サリタ ラナ(『実践的ヨガ教育』著者)が就任しました。
2005
スワミジと彼の研究グループは「ペースが速く、理論的に欠陥があるプラナヤマの手法を廃止」するための活動を開始しました。インド最高裁に 公益訴訟を起こすため35ページにも及ぶ審議書を提出し、デラドゥンのプレスクラブで会議を開きました。その様子はインド大手のアムール ウジャラ紙に掲載されました。翌年にはジャイプールのロータリークラブで、「ペースが速く、理論的に欠陥があるプラナヤマの手法を廃止」するための大規模な会議が開催。インド大手パラターカル紙が詳細な議事録を残しています。
2007 – 2009
クンブメラのステージで行われたサリタ ラナによる実演が、ヒンドゥスタンタイムス紙で掲載。残念ながら、「ペースが速く、理論的に欠陥があるプラナヤマの手法を廃止」する活動を支援する内容ではありませんでしたが、インド各地から問合せが集まり、ハリヤナ州では アーユルヴェーダの一部として認定されることになりました。活動が思うように進まないなか、2009年スワミジは、メディアで訴え始めました。インドのTV番組に出演すると、何千もの電話が寄せられ、賛同の声は大きく広がりました。
2011 – 2013
スワミジの仕事の大部分を支えてきサリタ ラナがモーリシャスの良家へ嫁ぎ、彼はサリタ ラナの著書『実践的なヨガ教育』の監修を開始。2年後の2013年、その本はヒンディー語と英語の2カ国語で出版されました。正式な一般販売はこれからです。
現在
スワミジは、リシケシを拠点とし活動しています。
彼の目的は、全世界の若者の意識をヨガの実践的な側面のみならず、理論的な側面へと導くことです。またスワミジは、これまでたくさんの支援の申し出があったにも関わらず、自分のアシュラムを持っていません。彼には、施しとしての金銭を受取らないという主義があります。これまでも常に無料でヨガを教えており、これからもそうし続けることでしょう。
